1568年11月1日、島津勢主力三万を率いた島津義久が佐土原城に着陣。
島津と大友両軍は切原川と高城川を挟んでにらみ合いになった。
大友軍は宗麟が不在であり重臣達の合議で統率をとっていたが、意見の対立から統率がとれない状態であった。
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改めて説明しますと
-決戦派-田北鎮周

様子を見ていても味方の士気は下がっていくだけだぜ。
決戦あるのみだってヴぁ!!-慎重派-佐伯惟教

落ち着いて。敵の出方を見ながらじっくりと対応しましょう。
角隈石宗

味方の被害を抑えるためにも、島津との講和や撤退も考えておくにょろ。
田原親賢

それに大殿の出馬も待ったほうがいいです。
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その大殿はどうしたんだってヴぁ?・
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>>>務志賀<<<
宗麟は再三の出馬要請を断り続け、神への祈りを続けるだけであった。
大友宗麟

ららるんる〜ん
カブラル

彼は、戦争に専念せねばならぬ立場にあり、またわれわれは軍事と全然無関係のものであったにも関わらず、ほぼ半日を、時には丸一日をも、彼はわれわれと共に過ごしていた。
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>>>根白坂・島津家本陣<<<
島津義久

敵は烏合の衆とはいえ結構な大軍、どーするかねえ。
島津義弘

そうね。こういう時こそ兵法の真髄というものを見せてあげるわ。

と、いうと?

相手を不利な状況で決戦に踏み切らせ、こちらの有利な場所に誘き出して、戦力を集中して一気に叩く!

おおおおお、さすがは義久だ。頼りになるねえ。

コラ!くっつくな!!

照れるな照れるな!!
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島津義弘は手勢を率いて切原川を渡り大友軍に奇襲
とりゃあああああああ!!足並みの揃わない大友軍を翻弄し、大友の救援部隊を各個撃破してから悠々と引き上げていった。
この挑発行為に対して

敵を目の前にして黙っていられるか! どうせ死ぬなら自分だけでも突撃だぜ!

翌、12日未明。
強硬派の田北鎮周は無断で切原川を渡河。

見殺しにはできないし。こうなったら、しょうがないわねえ。
佐伯惟教の部隊もこれに続く。
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見事に引っかかったわね。

薩摩流釣り野伏!!
田北鎮周の突撃に大友勢の大半が引き摺られ、島津の前衛を切り崩しながら高城川対岸に達していた。
しかし、ここで島津義弘は伏兵に大友勢の左側面を強襲させ先頭集団を大混乱に陥れた。

だからいわんこっちゃ無いにょろね。こうなったら仕方ないさ。

秘伝の兵法書を全て焼却してから敵陣に飛び込むとするにょろ。
角隈石宗らの後続部隊も救援の為に川を越えて戦闘に加わるのだが。
>>>高城<<<
島津家久

でもそんなのかんけいね〜
包囲が薄くなったのを見て家久率いる高城の部隊が大友軍に横槍を入れる。

これはかなり不味いですね。後退して退路を確保してください。いくつかの前線部隊も高城の抑えに回ってください。

馬鹿!この状況でそんな命令をだしたら!!!
後陣の移動を後退と勘違いした前線の部隊は混乱状態に陥り、崩れだした。
>>>切原川〜高城川<<<
大軍であった大友軍はなんとか耐えていたのだが先手が崩壊し壊走する。
切原川-高城川間の追撃戦にて大友は多くの勇将たちが命を落としていった。

まだだぜ、まだ負けたわけじゃないんだってヴぁ!

残念だけどここまでね!

わたし達にも意地があるのよ。ただでやられる訳にはいかないわ。
消え去りなさい!!
きゃーーーー!!・
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約束された勝利の剣!!※ 大友家軍師、角隈石宗は何も無い空間から刀剣を呼び出す事ができた…らしい
ばるさみこす〜♪・
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この戦いにおいて大友軍の被害は甚大であった。
最も損害が激しかった田北氏の領民の青壮年のほとんどは、この戦に駆り出され戦没し、帰還したのは僅か数名にすぎなかったという。
これは第二次世界大戦で同村より出征、戦死した者の数と比較しても多いという悲惨さであった。

仕方ありません。全軍退却です!!
総大将である田原親賢は形振り構わず逃げ出した。
更には、、、
>>>務志賀<<<

大変です!遠征軍は、ほぼ壊滅したそうです!!
な、なんですってー!!
今回の戦いは聖戦のはず。それが失敗するなんて神への祈りが足りなかったのかしら??

大殿!?大丈夫ですか?

とにかくすぐに退却ね!!
大友宗麟は神父たちに無断でさっさと逃亡した。
>>>肥後<<<
本来は別働隊として肥後の相良義陽と合流して島津の背後を突く予定であったが、、、
志賀親守

なんでキリシタンのために戦争なんか、、、、、、、やってられんわ、、、
相良義陽

なんか戦争終わってしまったらしいぞう!

なんですとー!!

わしも大友軍支援の為に大口城に侵攻したのだが、島津の新納忠元に撃退されたぞう。

もしかしていっぱい見殺しにしちまったか!?
別働隊は軍監である志賀親守からして非戦派であり、相良軍との連携も皆無だった。こうして別働隊3万は前線に投入されること無く終わった。
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圧倒的じゃないかわが軍は!!
まあ九州1の勢力であった大友に1戦にして大打撃をあたえたわけだしね。

これで島津が九州最強だということが証明されたわけだよ。

ワーイ♪ワーイ♪
この高城川の合戦(通称耳川の合戦)により九州の勢力バランスは大きく崩れることになった。