この度「萌えろ!九州三国志」という企画を始めました。
これは信オン争覇の章の舞台になってる九州での戦いの歴史的背景を、ハルヒ・らきすたを中心としたいわゆる萌えキャラを使った演劇ぽい形式で説明しています。

これは世界史コンテンツというところがあってその形式を使ってます。

内容の半分はギャグとネタですので、ネタはネタと理解していただけたら幸いです。

史実上の武将に強い思い入れがある方で、配役に関して不快感を感じたら申し訳ありません。
2037.08.02 Sun l はじめに l top ▲
1568年11月1日、島津勢主力三万を率いた島津義久が佐土原城に着陣。

島津と大友両軍は切原川と高城川を挟んでにらみ合いになった。

大友軍は宗麟が不在であり重臣達の合議で統率をとっていたが、意見の対立から統率がとれない状態であった。




改めて説明しますと

-決戦派-
田北鎮周
みさお様子を見ていても味方の士気は下がっていくだけだぜ。決戦あるのみだってヴぁ!!

-慎重派-

佐伯惟教
あやの落ち着いて。敵の出方を見ながらじっくりと対応しましょう。

角隈石宗
つるや味方の被害を抑えるためにも、島津との講和や撤退も考えておくにょろ。

田原親賢 
古泉それに大殿の出馬も待ったほうがいいです。
  



みさおその大殿はどうしたんだってヴぁ?





>>>務志賀<<<
宗麟は再三の出馬要請を断り続け、神への祈りを続けるだけであった。

大友宗麟
ハルヒららるんる〜ん

カブラル
金糸雀彼は、戦争に専念せねばならぬ立場にあり、またわれわれは軍事と全然無関係のものであったにも関わらず、ほぼ半日を、時には丸一日をも、彼はわれわれと共に過ごしていた。








>>>根白坂・島津家本陣<<<

島津義久
こなた敵は烏合の衆とはいえ結構な大軍、どーするかねえ。

島津義弘
かがみそうね。こういう時こそ兵法の真髄というものを見せてあげるわ。


こなたと、いうと?


かがみ相手を不利な状況で決戦に踏み切らせ、こちらの有利な場所に誘き出して、戦力を集中して一気に叩く!

こなたおおおおお、さすがは義久だ。頼りになるねえ。

かがみコラ!くっつくな!!


こなた照れるな照れるな!!





島津義弘は手勢を率いて切原川を渡り大友軍に奇襲

かがみとりゃあああああああ!!

足並みの揃わない大友軍を翻弄し、大友の救援部隊を各個撃破してから悠々と引き上げていった。

この挑発行為に対して

みさお敵を目の前にして黙っていられるか! どうせ死ぬなら自分だけでも突撃だぜ!


ちゅるやさん



翌、12日未明。

強硬派の田北鎮周は無断で切原川を渡河。

あやの見殺しにはできないし。こうなったら、しょうがないわねえ。

佐伯惟教の部隊もこれに続く。





耳川合戦






かがみ見事に引っかかったわね。

かがみ
薩摩流釣り野伏!!


田北鎮周の突撃に大友勢の大半が引き摺られ、島津の前衛を切り崩しながら高城川対岸に達していた。
しかし、ここで島津義弘は伏兵に大友勢の左側面を強襲させ先頭集団を大混乱に陥れた。


つるやだからいわんこっちゃ無いにょろね。こうなったら仕方ないさ。

つるや秘伝の兵法書を全て焼却してから敵陣に飛び込むとするにょろ。

角隈石宗らの後続部隊も救援の為に川を越えて戦闘に加わるのだが。


>>>高城<<<

島津家久
つかさでもそんなのかんけいね〜

包囲が薄くなったのを見て家久率いる高城の部隊が大友軍に横槍を入れる。

古泉これはかなり不味いですね。後退して退路を確保してください。いくつかの前線部隊も高城の抑えに回ってください。

あやの馬鹿!この状況でそんな命令をだしたら!!!


後陣の移動を後退と勘違いした前線の部隊は混乱状態に陥り、崩れだした。

>>>切原川〜高城川<<<

大軍であった大友軍はなんとか耐えていたのだが先手が崩壊し壊走する。

切原川-高城川間の追撃戦にて大友は多くの勇将たちが命を落としていった。


みさおまだだぜ、まだ負けたわけじゃないんだってヴぁ!


かがみ残念だけどここまでね!

あやのわたし達にも意地があるのよ。ただでやられる訳にはいかないわ。


かがみ消え去りなさい!!


みさお  あやのきゃーーーー!!





つるや約束された勝利の剣!!

※ 大友家軍師、角隈石宗は何も無い空間から刀剣を呼び出す事ができた…らしい

つかさばるさみこす〜♪





この戦いにおいて大友軍の被害は甚大であった。
最も損害が激しかった田北氏の領民の青壮年のほとんどは、この戦に駆り出され戦没し、帰還したのは僅か数名にすぎなかったという。

これは第二次世界大戦で同村より出征、戦死した者の数と比較しても多いという悲惨さであった。


古泉仕方ありません。全軍退却です!!


総大将である田原親賢は形振り構わず逃げ出した。

更には、、、

>>>務志賀<<<

ひこにゃん大変です!遠征軍は、ほぼ壊滅したそうです!!

ハルヒな、なんですってー!!

ハルヒ今回の戦いは聖戦のはず。それが失敗するなんて神への祈りが足りなかったのかしら??

ひこにゃん大殿!?大丈夫ですか?

ハルヒとにかくすぐに退却ね!!

大友宗麟は神父たちに無断でさっさと逃亡した。


>>>肥後<<<

本来は別働隊として肥後の相良義陽と合流して島津の背後を突く予定であったが、、、

志賀親守
きょん2
なんでキリシタンのために戦争なんか、、、、、、、やってられんわ、、、


相良義陽
象大魔王なんか戦争終わってしまったらしいぞう!

きょん2なんですとー!!

象大魔王わしも大友軍支援の為に大口城に侵攻したのだが、島津の新納忠元に撃退されたぞう。

きょん2もしかしていっぱい見殺しにしちまったか!?


別働隊は軍監である志賀親守からして非戦派であり、相良軍との連携も皆無だった。こうして別働隊3万は前線に投入されること無く終わった。






こなた
圧倒的じゃないかわが軍は!!



かがみまあ九州1の勢力であった大友に1戦にして大打撃をあたえたわけだしね。

こなたこれで島津が九州最強だということが証明されたわけだよ。

つかさワーイ♪ワーイ♪


この高城川の合戦(通称耳川の合戦)により九州の勢力バランスは大きく崩れることになった。

2008.08.24 Sun l 萌えろ!九州三国志 l COM(0) TB(0) l top ▲
大友軍は日向へ進軍していった。

田原親賢や佐伯惟教を中心とした主力軍団4万は陸路で日向を南下。

田原親賢
古泉不安だ、、、激しく不安だ、、、

佐伯惟教
あやの頑張りましょうよ!

角隈石宗
つるやこの戦い、初めから凶兆がでているにょろねえ。どうしたもんだか


田北鎮周
みさお決戦あるのみだぜ!!





志賀、朽網、一万田、戸次ら南郡衆は、肥後の相良義陽と合流して、肥後廻りで島津軍の背後を攻撃する計画であったが…。

>>>肥後<<<

志賀親守
きょん2こんな戦い、真面目にやってられん。

はじめから士気が低く、進軍もゆっくりであった。






>>>務志賀<<<

宗麟は戦いは将兵たちに任し、務志賀と言う場所に聖堂を建てて神に戦勝を祈っていた。

大友宗麟
ハルヒ神に祈るって気持ちいいいわねえ


耳川





>>>薩摩<<<

島津義久
こなた
ということで、大友軍が攻めてくるよ!

島津家久
つかさどんだけ〜♪

島津義弘
かがみいつかは大友とやりあうことになるとは思っていたけど、まさかこんな馬鹿げた理由で合戦するとはねえ。

つかさでも兵力的には圧倒的に不利だし、結構ピンチなんじゃない??

こなた一応は危急存亡のときではあるのかな。


かがみまあ逆に言えば、ここで大友に圧勝すれば島津が九州1番になれるわね。チャンスと言えばチャンスよ。

こなた(義弘がやる気満々だねえ。頼もしいことだ)

こなたとにかく兵は総動員しないといけないね。


義久は国中の武器を持てる者すべてを召集した。
領民にいかなる逃げ口上も許さず、参集させた軍勢に4、5日分の米を持たせ、その食糧が尽きる前に戦の勝敗を決していなければならならぬ、と伝達した。


こなた立てよ国民!!


サムライモール  うぃっち  ハーピージーク・島津!!





11578年10月20日から高城を囲んでいた。
高城は要塞ではあるが兵力は数千、大友軍の兵力は4万。
本来なら楽勝のはずなのだが、、、

大友軍はもともと士気が低かった上に慎重派の田原親賢と積極派の田北鎮周との対立により2系統の指揮が入り乱れていた。

古泉みなさん、落ち着いてください。ここは無理な力攻めをせずにじっくりいきましょう。

みさお突撃だぜ〜!進軍あるのみだってヴぁ!!

大友兵
ひこにゃんこんな合戦やってられないぜ。

結局、高城を落とすことはできなかった。

11月1日、島津勢主力三万を率いた島津義久が佐土原城に着陣。
いよいよ2大勢力が対峙したわけです。

耳川合戦


2008.08.23 Sat l 萌えろ!九州三国志 l COM(0) TB(0) l top ▲